大谷翔平選手はなぜ「10時間」眠るのか?睡眠中に向上する「手続き記憶」の科学

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長く眠ることは、疲れを取るだけでなく、技術を身体に定着させる時間でもある

世界最高峰の舞台で活躍するトップアスリートたち。彼らの並外れた身体能力や技術は、日々の過酷なトレーニングの積み重ねでつくられています。ですが、トップアスリートたちがトレーニングと同じくらい大切にしているものがあります。

それが、睡眠です。

大谷翔平選手は、睡眠を重視する選手としてよく知られています。

「ナイターデー(ナイトゲームの翌日がデーゲーム)なら6、7時間寝られればいいほうかなという感じですけど、ナイターナイターだったら、10時間から12時間くらいは寝ています。スケジュールによって変わってくるのが難しいんですけど」

野球翔年II MLB編2018-2024 大谷翔平 ロングインタビュー 』石田雄太(著)より

大谷選手に限らず、トップアスリートの世界では、長時間眠ることが珍しくありません。ここで大事なのは、「長く眠るのは、疲れを取るためだけではない」ということです。睡眠は、日中に練習した動きを脳に定着させる時間でもあると考えられています。

トップアスリートはなぜ長時間眠るのか

スポーツの世界では、長時間睡眠を実践する選手が少なくありません。理由は単純です。長くしっかり眠ったほうが、翌日のパフォーマンスが上がる可能性があるからです。

このことを示した有名な研究があります。スタンフォード大学の研究チームは、男子バスケットボール選手に対して、毎晩できるだけ長く、目標として約10時間ベッドに入るよう指示し、その後の競技パフォーマンスを調べました。その結果、スプリントのタイムが縮まり、フリースロー成功率は9%、3ポイントシュート成功率は9.2%向上しました。睡眠を増やすことが、実際の競技力の向上と結びついたのです。

つまり、アスリートにとって睡眠は、単なる休息ではありません。練習の成果を翌日に持ち越すための、重要な回復と定着の時間です。

身体で覚える記憶「手続き記憶」とは何か

ここで出てくるのが、「手続き記憶」という言葉です。

人の記憶にはいくつか種類があります。たとえば、昨日の夕食や歴史の年号のように、言葉で説明できる記憶があります。これに対して、自転車の乗り方、ピアノの指の動き、スポーツのフォームのように、身体で覚える記憶があります。これが手続き記憶です。一般には「技能記憶」と言い換えてもよいです。

野球のバッティングでも、いちいち「ひじをこう上げて、手首をこう返して」と考えていたら間に合いません。反復練習によって手続き記憶ができてくると、身体が無意識に近い形で動けるようになります。

よく「マッスルメモリー」と言われるものも、この手続き記憶と関係があります。実際に筋肉そのものが覚えているというより、脳と神経の回路が洗練され、動きがなめらかになると考えたほうが正確です。こうした運動の記憶は、練習した直後に完成するのではなく、睡眠中に整理されて強くなっていくと考えられています。

睡眠がスキルを伸ばすことを示した研究

この話を裏づける代表的な研究が、ハーバード大学などの研究グループによる指の運動課題の実験です。

被験者は、パソコンのキーボードで決まった数字の並びを、できるだけ速く正確に打つ練習をします。その後、一晩眠ったグループと、同じくらいの時間を起きたまま過ごしたグループで比べると、眠ったグループのほうが明らかに成績が伸びました。報告では、睡眠後にスピードが約20%、正確性が35%向上したとされています。

ここで重要なのは、「練習したその場で完成するのではなく、眠ったあとに上達している」という点です。

これはタイピングだけの話ではありません。スポーツでも、楽器でも、新しい手の動きでも同じです。昼間に練習した内容が、睡眠中に整理され、次の日によりうまく動ける形に変わっていく。これが、睡眠と手続き記憶の大きな関係です。

睡眠紡錘波が技能の定着を助ける

では、睡眠中の何がその働きを支えているのでしょうか。

ここで注目されているのが、「睡眠紡錘波(すいみんぼうすいは)」です。少し難しい言葉ですが、これはノンレム睡眠の比較的浅い段階で見られる特徴的な脳波です。研究では、この睡眠紡錘波が、手続き記憶や運動スキルの定着に関わることが繰り返し報告されています。

簡単に言えば、日中に練習した動きの情報を、睡眠中に脳が整理し直しているようなものです。運動を学習したあとには、この睡眠紡錘波の活動が増えることがあり、それが技能の定着と結びつくと考えられています。

また、手続き記憶の定着には、ノンレム睡眠だけでなくレム睡眠も関わると考えられています。つまり、睡眠はどこか一部だけが大事なのではなく、夜のあいだに繰り返される一連の睡眠サイクル全体が重要です。

睡眠を削ると、練習の成果が定着しにくくなる

ここから見えてくるのは、とてもシンプルな事実です。

どれだけ練習しても、睡眠が足りなければ、その成果が十分に定着しにくくなる可能性があるということです。

睡眠時間が短いと、睡眠サイクルをくり返す回数も減ります。すると、せっかく日中に入力した運動の情報が、十分に整理されないまま朝を迎えることになります。努力が無駄になるとまでは言いませんが、少なくとも効率は落ちやすくなります。ハーバード大学の指運動課題の研究や、睡眠紡錘波に関する研究は、その考え方を強く支えています。

これはスポーツだけの話ではありません。仕事のスキル、楽器、勉強、タイピング、プレゼン、運転など、身体や手順を覚えること全般に共通します。

まとめ:睡眠は最強の「トレーニング」である

大谷翔平選手をはじめとするトップアスリートたちが、なぜ長時間の睡眠を重視するのか。理由は「疲れを取るためだけ」ではありません。

日中の練習で得た技術や感覚を、睡眠中に脳へ定着させるためです。手続き記憶は、練習だけでは完成しません。練習したあとにしっかり眠ることで、初めて次の日の動きにつながりやすくなります。スタンフォード大学の睡眠延長研究や、ハーバード大学の手続き記憶研究は、そのことをわかりやすく示しています。

こうした仕組みは、スポーツの世界だけに限ったことではありません。仕事の新しい手順を覚えるときも、資格の勉強をするときも、楽器の演奏を練習するときも、何かを身体で身につけたいときも、睡眠を削るほど効率が上がるとは言えません。むしろ、しっかり眠ったほうが、結果としてうまく定着しやすい。これが、今の睡眠科学が教えてくれる大事なポイントです。

十分な睡眠時間を確保することは、自分自身の能力を最大限に引き出すための、もっとも簡単で強力な方法の一つなのです。

睡眠についてさらに詳しく知りたい方は、以下の記事も参考にしてください。

では、眠っている間に、日中の経験や学習した内容は、脳の中でどのように整理されていくのでしょうか。

睡眠中に記憶が整理され、一時的な保管場所から長期的な記憶に関わる領域へ移っていく仕組みについては、以下の記事で詳しく解説しています。

→  睡眠中に記憶はどう整理されるのか。海馬から大脳皮質へ進む「夜の記憶整理」

また、スポーツや学習の成果を支えるうえで、そもそもどれくらいの睡眠時間が必要なのかを知りたい方は、以下の記事も参考にしてください。

→ 7時間?8時間?科学と遺伝子が導き出した「最適な睡眠時間」の結論

参考URL

参考資料

  • 石田雄太 著:大谷翔平選手の睡眠に関する発言
    『野球翔年II MLB編2018-2024 大谷翔平 ロングインタビュー』
    文藝春秋
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